2015年1月号 Vol.113
あけましておめでとうございます。
みなさま、年末年始はゆっくり過ごすことができたでしょうか?
私の年末はというと、実はインフルエンザにかかってしまい、あまり経験のない高熱が出た結果、ほぼ4日間寝たきりの年末でした。まだまだ寒い日が続きますので、みなさん、どうかお体をご自愛くださいませ。
さて今月は、「身だしなみ」について書きたいと思います。
男性なら髭を剃ったり爪を短く切ったり、さらには髪をととのえてきちんとした身なりをすることなどを、ここでは身だしなみを整えると考えましょう。
女性ならそこにさらにお化粧をすることも付け加えられることになるのかもしれません(女性の場合、爪を短くすることが必ずしも身だしなみを整えることにつながるかどうかわかりませんが)。
こうした身だしなみを整える行動の意味について、以前、ある有名な経営者の方が言っていた内容が私にとってはちょっと新鮮な考え方だったので、それをご紹介しましょう。
身だしなみを整えるという行動は、それによって自分を良く見せたいという心が働いた結果のもので、生物学的な観点からみると異性にモテたいという心ともいえるわけで、ようするに自分のための行動というのが一般的な考え方だと思います。
自分のための行動だとすると、身だしなみに気を使わない人たちにとっては、次のような「大義名分」ができてしまうわけです。
すなわち、「私は自分を良く見せようなんて思わないし、異性にモテたいとも思わない。だから身だしなみにも気を使わないんです。」
でもその経営者の方は、身だしなみを整えるという行動はそもそも自分のためにするものではなく、周りの人のために行うものだということを言っていました。
人はキレイでないものを見るよりキレイなものを見るほうが気分はいいものです。
もちろん、その「出来栄え」は人それぞれですのでそこは重要な問題ではなく、自分と会うにあたってきちんとした身だしなみに気を使ってくれているという、その「気持ち」を人はうれしく思うものだから、身だしなみに気を使わないということは、周りの人たちに対する思いやりが足りないということと同義だというわけです。
こういう考え方をみなさんはどう思われますか?