所員ブログ

ファミリーヒストリー

2021年10月01日

春先に稚内周辺へ一人旅に行きました。
目的は2つあり、1つはサロベツ原野から利尻富士を観ること、
もうひとつは宗谷岬からサハリン島を望むこと、でした。
普段の行いが悪いので、サロベツ原野では風雨に見舞われ利尻富士は拝めませんでした。
しかし、宗谷岬に着いた時は雲の切れ間に遭遇し、サハリン島を望むことができました。

サハリン島を見てみたい、という目的には理由がありました。
それは、父方の祖母(大正生まれ)が青春時代を過ごした土地が旧樺太だったからです。

父方の祖母(大正生まれ)は十数年前に亡くなりましたが、私からすると激動の人生を
生きた人でした(戦前生まれの方は程度の差こそあれ、皆さん苦労をされていらっしゃいますが)。
新潟で生まれて樺太(現サハリン)で育ち、終戦による引揚げで旭川に移住した
という経歴を持っていました。引揚げの際には、祖母が乗船した引揚船が旧ソ連の攻撃を受け、ともに大泊港を出た他の船は沈没し多くの方が亡くなりました(三船殉難事件)。

「歴史学」では歴史のifはタブーですが、祖母の半生を想う時、もし留萌沖で祖母が亡くなっていたら私は生まれていない、という事を意識しないわけにはいきません。そして、幼い頃に感じたこの想いが歴史というテーマに深い興味を持つきっかけになってくれたような気がしています。

そういう想いを持って宗谷岬に立って見た旧樺太は、肉眼で見える程に近く、けれどとても遠い場所に感じました。

稚内市内にある「樺太記念館」では、日露戦争以降の樺太の歴史を学ぶことができます。祖母の様に旧樺太で過ごした人々の体験記や、様々な資料が展示されています(入館無料)。来館者がいないのを良いことに、スタッフの方と様々な話ができました。祖母が暮らした知取(シルトル、現サハリン州マカロフ)の写真や資料なども紹介していただき、祖母の半生にさらに深く触れられた気がします。

約50年に渡って日本領だった旧樺太の歴史は、地理的に距離が近い北海道でさえ関心が希薄です。さらに、会員の高齢化を理由に、全国樺太連盟という引揚者の方々の全国組織が今年解散しました。歴史の語り手がいなくなっていくということは、過去の反省や人々の努力・想いが、未来の社会に引き継がれなくなる事を意味します。引いては、過去の過ちを繰り返す土壌にもなり得ます。

祖母に力をもらって、先人の思いを次世代に繋ぐ取組ができないか考える今日このごろです。

ひらさわ

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