一杯のかけそば
2020年01月06日
このお話は、実話をもとにしたとか、
その実話が。。。などなど賛否両論ありましたが、
フィクションの童話として読んでも考えさせられることが多々あります。
大人になってから改めて読む童話や絵本は、
子供の頃とまた違った見方や考え方ができ、
また、感想も他者とは同じになることもなく、
非常に面白いです。
『一杯のかけそば』
この物語は、今から35年ほど前の12月31日。
札幌の街にある、そば屋「北海亭」での出来事から始まる。
そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞いの忙しさだった。
いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが
夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。
10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。
頃合いを見払って、人はいいのだが不愛想な主人に代わって
常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、
忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて
パートタイムの従業員を帰した。
最後の客が店をだたところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと
話をしていた時、入口の戸がガラガラと力無く開いて
2人の子ども連れた女性が入ってきた。
6歳と10歳くらいの男の子は真新しい
揃いのトレーニングウェア姿で
女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていました。
「いらっしゃいませ!」
と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。
「あの~~かけそば~1人前なのですが~~よろしいでしょうか。」
後ろでは、2人の子供が心配顔で見上げている。
「え~~えぇどうぞ。どうぞこちらへ。」
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら
カウンターの奥に向かって
「かけ1丁!」
と声を掛ける。
それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら
「あいよっ!かけ1丁!」
とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。
玉そば1個で1人前の量である。
客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。
テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで
額を寄せ合って食べている3人の話声が
カウンターの中までかすかに届く。
「おいしいね。」
と兄。
「お母さんもお食べよ」
と1本のそばをつまんで母の口に持っていく弟。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い
「ごちそうさまでした。」
と頭を下げて出ていく母子3人に、
「ありがとうございました!どうかよいお年を!」
と声を合わせる主人と女将。
新しい年を迎えた北海亭は
相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ
再び12月31日がやってきた。
前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり
10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき
ガラガラと都が開いて
2人の男の子を連れた女性が入ってきた。
女将は女性の着ているチェックの半コートを見て
1年前の大晦日、最後の客を思い出した。
「あの~かけそば~~1人前なのですが~~よろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ。こちらへ」
女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら
「かけ1丁!」
と大きな声をかける。
「あいよっ!かけ1丁」
と主人はこたえながら
消したばかりのコンロに火を入れる。
「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ。」
そっと耳打ちする女将に
「だめだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ。」
と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て
「お前さん、仏頂面しているけどいいとこあるねえ。」
とほほ笑む妻に対し
相変わらずだまって盛り付けをする主人である。
テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が
カウンターの中とそとの2人に聞こえる。
「~~おいしいね。~~」
「今年も北海亭のそばたべれたね。」
「来年もたべれるといいね~~。」
食べ終わって、150円を支払い
出ていき3人の後ろ姿に
「ありがとうございました!どうかよいお年を!」
その日、何回と繰り返した言葉で送り出した。
商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜。
北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが
9時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。
10時を回ったところで従業員を帰した主人は
壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。
今年の夏に値上げして「かけそば200円」と書かれていたメニュ札が
150円に早変わりしていた。
2番テーブルの上には
すでに「30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。
10時半になって、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように
母と子の3人連れが入ってきた。
兄は中学生の制服、弟は昨年兄が着ていた大き目のジャンパーを着ていた。
2人とも見違えるほど成長していたが
母親はいろあせたあのチェックの半コート姿のままだった。
「いらっしゃいませ!」
と笑顔で出迎える女将に、母親はおずおずと言う。
「あの~~かけそば~~2人前なのですが~~よろしいでしょうか?」
「えっ~どうぞ。さぁこちらへ。」
と2番テーブルへ案内しながら
そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し
カウンターに向かって
「かけ2丁!」
それを受けて
「あいよっ!かけ2丁!」
とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。
2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ
話も弾んでいるのがわかる。
カウンターの中で思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と
例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人ある。
「お兄ちゃん、淳ちゃん~
今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」
「礼って~どうしたの」
「実はね、死んだお父さんが起こした事故で
8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど
保険などの支払いできなかった分を、毎月5万円ずつ払い続けていたの。」
「うん、知っていたよ。」
女将と主人は身動きしないで、じっと聞いている。
「支払いは年明けの3月までになっていたけど
実は今日、全部支払いを済ますことができたの。」
「えっ!ほんとう、お母さん!」
「ええ、ほんとうよ。
お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし
淳ちゃんがお買い物や夕食のしたくを毎日してくれたおかげで
お母さん安心して働くことができたの。
「お母さん!お兄ちゃん!よかったね!」
でも、これからも、夕食のしたくはボクがするよ。」
「ボクも新聞配達、続けるよ。淳!がんばろうな!」
「ありがとう。ほんとうにありがとう。」
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
そうね~11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。
あのとき、淳はもう1通、先生からの手紙をあずかってきたんだ。
淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて
全国コンクールに出品されることになったので
参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。
先生からの手紙をお母さんに見せれば
無理して会社を休むのわかるから、淳、それを隠したんだ。
そのこと淳の友達から聞いたものだから~ボクが参観日に行ったんだ。」
「そう~~そうだったの~~それで」
「先生が、あなたは将来どんな人なりたいですか、という題で
全員に作文を書いてもらいましたところ
淳くんは、「一杯のかけそば」という題で書いてくれました。
これからその作文を読んでもらいますって。
「一杯のかけそば」という題で書いてくれました。
これからその作文を読んでもらいますって。
「一杯のかけそば」って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから
淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ!と
心の中で思ったんだ。
作文はね~お父さんの借金が残ったこと
お母さんが朝早くから夜遅くまで働いていること
ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることもぜんぶ読みあげたんだ。
そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが
とてもおいしかったこと。
3人でたった1杯しか頼まなかったのに
おそば屋のおじさんとおばさんは、
ありがとうございました!どうかよいお年を!
って大きな声をかけてくれたこと。
その声は~負けるなよ!頑張れよ!生きるんだよ!
って言っているような気がして。
それで淳は、大人になったら
お客さんに頑張ってね!幸せにね!って思いを込めて
ありがとうございました!
と言える日本一のおそば屋さんになります。
って大きな声で読みあげたんだよ。」
カウンターの中で、聞き耳をたてていたはずの主人と女将さんの姿が見えない。
カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は
1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで
こらえきれず溢れ出る涙を拭いていた。
「作文を読み終えたとき、先生が淳くんのお兄さんが
お母さんにかわって来て下さってますので
ここで挨拶をして頂きましょうって~」
「まぁ、それで、兄ちゃんどうしたの」
「突然言われたので、初めは言葉がでなかったけど、
皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。
弟は、毎日夕飯のしたくをしています。
それでクラブ活動の途中で帰るので
迷惑をかけていると思います。
今、弟が『一杯のかけそば』を読み始めたとき
ぼくは恥ずかしいと思いました。
でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに
1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、
その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。
あの時、1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を
忘れてはいけないと思います。
兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。
これからも淳と仲よくして下さい。って言ったんだ。」
しんみりと、互いに手を握ったり
笑転げるようにして肩を叩きあったり
昨年までとは、打って変わった
楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を払い
「ごちそうさまでした」
と、深々と頭を下げて出て行く3人を
主人と女将さんは1年の締めくくる大きな声で
「ありがとうございました!どうかよいお年を!」
と送り出した。
また1年が過ぎて~。
北海亭では、夜の9時から「予約席」の札を
2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが
あの母子3人は表れなかった。
次のさらに次の年も
2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。
北海亭は商売繁盛のなかで、店内改装をすることになり
テーブルや椅子も新しくしたが
あの2番テーブルだけはそのまま残した。
真新しいテーブルが並ぶなかで
一脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。
「どうしてこれがここに」
と不思議がる客に
主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し
このテーブルを見ては自分たちの励みにしている。
いつの日か、あの3人のお客さんが
来てくださるかもしれない。
その時、このテーブルで迎えたいと説明していた。
その話が「幸せのテーブル」として、客から客へと伝わった。
わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり
そのテーブルが、空くのを待って注文をする若いカップルがいたり
なかなかに人気を呼んでいた。
それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。
北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで
個族同然のつきあいをしている仲間たちが
それぞれの店じまいを終えて集まってきていた。
北海亭で年越しそばを食べた後
除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって
近くの神社へ初詣に行くのが5~6年前からの恒例となっていた。
この夜の9時半過ぎに、魚屋の夫婦が刺身を
盛り合わせたお皿を両手に持って入って来たのが
合図だったかのように、いつも仲間30人余りが
酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。
「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている仲間達のこと
お互いに口にはださないが
おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう
「大晦日10時過ぎの予約席」をそっとしたまま
窮屈な小上がりの席を全員が少しずつ身体を
ずらせて遅れたきた仲間を招きいれていた。
海水浴のエピソード、孫が生まれた話、大売り出しの話。
賑やかさが頂点に達した10時過ぎ
入口の戸がガラガラと開いた。
幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。
北海亭の主人と女将以外は誰も合ったことのない
あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる
簿手のチェックの半コートを着た若い母親と
幼い2人の男の子を誰しもが想像するが
入ってきたのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。
ホッとした溜め息漏れ、賑やかさが戻る。
女将が申し訳なさそうな顔で
「あいにく、満席なものですから」
断ろうとしたその時、和服姿の婦人が深々と頭を下げて入ってきて
二人の青年の間に立った。
店内にいる全ての者が息を呑んで聞き耳を立てる。
「あの~かけそば~3人前なのですが~よろしいでしょうか」
その声を聞いて女将の顔色が変わる。
十数年の歳月を瞬時に押しのけ
あの日の若い母親通さない二人の姿が目の前の3人と重なる。
カウンターの中から目を見開いてにらみ付けている主人と
今入ってきた3人の客とを交互にさしながら
「あの~~あの~~おまえさん」
と、おろおろしている女将に青年の一人が言った。
「私達は14年前の大晦日の夜
親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。
あの時、一杯のかけそばに励まされ
3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。
その後、母は実家があります滋賀県へ越しました。
私は今年、医師の国家試験に合格しまして
京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが
年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。
その病院への挨拶と父の墓への報告を兼ね、
おそば屋さんにはなりませんでしたが
京都の銀行に勤める弟と相談をしまして
今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。
それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね
3人前のかけそばを頼むことでした。」
うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。
入口に近いテーブルに陣とっていた八百屋の大将が
そばを口に含んでまま聞いていたが
そのままゴクッと飲み込んで立ち上がり
「おいおい、女将さん。なにしてんだよお。
10年間この日のために用意して待ちに待った
『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。ご案内だよ。ご案内」
八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は
「ようこそ、さあどうぞ。おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」
仏頂面を涙でぬらした主人
「あいよっ!かけ3丁!」
期せずして上がる歓声と拍手の店の外では
先程までちらついていた雪もやみ
新雪にはね返った窓明かりが照らしだす
『北海亭』と書かれた暖簾を、ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。
栗良平作「一杯のかけそば」より