2016年10月号(Vol.134)
最近、社会における自分自身の「役割」を意識する機会が以前より増えたような気がしています。仕事における役割はもちろん、家族や親戚、ご近所とのお付き合いにおける役割、ボランティアや各種の会合における役割など、それらを総合的にみた社会全体から与えられた自分の役割という意味です。人によってはそれを自分の使命、あるいは自分が生きている意味と言ったりもしますが、みなさんはそういう意味での自分自身の役割ということを考えたことはありますか?
世の中にはいろいろな人がいて、子供のころから勉強が得意な人もいればスポーツが得意な人もいます。また、人が集まると、意識はしていなくてもなんとなく中心的な役割を果たす人もいれば、目立たず、そうした人を支える役割の人もいます。努力によってかなりのことは克服できるとしても、人には持って生まれたものがあるのも事実ですから、自分に合った役割以外のことをしようとすると、いろいろなところで摩擦が生じて、「あなたの役割はそれではないですよ」と気づかされることがあるかもしれません。また、若いうちはなかなか自分の役割を意識することがないかもしれませんが、ある程度の年齢になってくると、なんとなく自分の役割を意識する機会が増えてくるように思います。
以前も書いたことがありますが、特にチームで行うスポーツにはそれぞれのポジションがあって、サッカーであればフォワードやディフェンダーやキーパー、野球であればピッチャーやキャッチャー、内野手、外野手がいます。目立つポジションは人気があるかもしれませんが、みんながそれを希望してはチームが成り立ちません。会社も同様で、複数の人がいる会社であれば、社長だけでは業務をこなせません。そう考えると、それぞれの役割そのものには本来、上下の関係はなく、また、ドラマや映画のように主役も脇役もないはずです。みんながそれぞれの役割を果たすことによって社会が成り立っていると考えれば、重要でない役割なんてものもありません。
目立つ役割を与えられた人はどうしても注目されがちですが、それ以外の人も社会全体からみると大切な役割 を担っているはずです。それぞれが自分の役割を正しく認識して、それを一生懸命まっとうすることができれば、世の中はより良いものになりそうですが、みなさんはどう思いますか?