西俊輔の「毎日楽しく」

京セラ稲盛さん逝去

8月24日、京セラ創業者で名誉会長の稲盛和夫さんが90歳で亡くなった、というニュースが先月報道されました。この「毎日楽しく」では過去何度も稲盛さんの言葉を引用させていただき、私自身も稲盛さんの書籍などを読んで勉強させていただいてましたから、今月は稲盛さんのことを少し振り返ってみようと思います。

1932年(昭和7年)に鹿児島で生まれた稲盛さんは、12歳のとき中学受験に失敗、肺の病気にも苦しみ、その後入学した鹿児島大学は必ずしも本人が希望した学校ではなかったそうです。大学を卒業するときは不況による就職難で就職先を見つけるのに苦労し、大学の教授の紹介でようやく決まった京都の会社は経営難の状態で給与の支払いも遅れがちだったそうで、同期入社の社員は入社後まもなく次々と辞めていき、稲盛さん1人が残されたそうです。

その稲盛さんも一時は会社を辞めて自衛隊に入ろうとしたものの、家族に反対されてあきらめざるをえなくなり、恵まれない境遇を嘆いていても状況がよくなるわけではないと開き直り、そこから目の前の仕事に没頭するようになったそうです。布団や鍋釜を会社に持ち込み、部屋にも帰らず会社に泊まり込んで仕事に打ち込むようになるとだんだんと結果も出てくるようになったそうですが、その後、会社の上司と衝突したことをきっかけに会社を辞めることになります。

ただ、それまでの頑張りをみていた周りの人たちが稲盛さんの起業を助けてくれることになり、お金が無い稲盛さんのために家を担保に借金までして出資してくれる人もいたそうで、このとき立ち上げた会社が現在の京セラとなります。稲盛さん27歳のときでした。その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで会社は成長していき、現在のような世界的な大企業に・・・、とはいかず(うわべだけみるとそう見えるかもしれませんが)、その後もというか、そこから本当の苦労が始まることになります。

もともと技術屋だった稲盛さんは、みずから立ち上げた京都セラミックという会社を、最初に就職した会社では日の目をみることがなかった稲盛和夫の技術を世に問う会社にするつもりだったそうですが、人を雇って会社を経営していると、そんな稲盛さん個人の思いとは関係なく、社員の給与を支払うだけで精一杯の状態が続いたそうです。

世界一の会社を目指すという大きな目標を掲げてはいたものの、社員たちは自分の思ったとおりにはならず、世界一どころか実際は町内一になるのすら怪しい地味な作業の繰り返しという毎日が続く中、個人の能力を超えて会社を成長・発展させていくために何が必要かを考え、経営者としての覚悟を決めていくようになります(来月に続きます)。

一覧に戻る