西俊輔の「毎日楽しく」

幸せは身近な日常にある

某新聞の読者投稿欄に先日こんな投稿がありました。「私は『幸思えば人生虹色』という言葉を座右の銘にしている。『小さなことでも幸せを感じていれば、人生虹色のように華やかな気持ちで生きていける』という意味だ。}

「しあわせはいつも自分のこころが決める(byあいだみつを)」という言葉を座右の銘にしている私としてはとても親近感を感じたわけですが、この投稿をしたのはなんと、11歳の小学生でした。そのため次のような文章が続きます(一部要約)。「私がこの言葉を大切にしたいと思ったのは、修学旅行がきっかけで、とってもおいしいご飯を食べ、すてきな大浴場にも入って幸せなはずなのに、夜寝るときにとっても寂しくなってしまった。当たり前のように過ごしている家族との時間が急に恋しくなってきたのだ。その時、私はわかった。小さなことでも当たり前のことでも、幸せは身近な日常の中にあったのだと。」

気づいたきっかけがなんであれ、私自身は人生の真理のひとつだと思っている、幸せは誰かが与えてくれるものでも、なにかをした結果得られるものでもなく、どんなことでも幸せと感じた瞬間に幸せになれるという事実に、小学生で気づいてしまったこの子が将来どんな大人になるのか楽しみになったのと同時に、人生のあまりに早い段階で「悟って」しまうと、たぶんこれからつらいことや苦しいことがたくさん待ってる人生で、その「悟り」がマイナスの方向、人生はやっぱりそんな簡単なことじゃないんだ、というようにそれを否定する方向にいかなければいいけど、と他人事ながら心配にもなりましたが、みなさんはどう思います?

ちなみに、修学旅行から戻ったあとに家族と食べたカレーライスはしみじみとおいしかったそうですし(笑)、それから毎日、母のご飯を食べられること、友だちと話せること、勉強することなど、小さなこと一つ一つに幸せを感じて、毎日、虹のように明るく元気よく生きることができてるそうです。

最近、某大手ドーナツチェーン店が有名パティシエさんとコラボして開発したドーナツを期間限定で発売しました。私の好みにドンピシャだったそのドーナツをほうっておくことができず、さっそく買って食べましたが、ドーナツを買いに行くときや食べているときに幸せを感じた私のこのエピソードは、新聞に投稿していた小学生のそれとたいして変わりませんね・・・

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